日本女性らしい黒髪が印象的な、グローバル人材を育てるプロデューサー
通称「Mickey(ミッキー)」さん。ハキハキとお話をされるお姿はさすが才女という感じです。でも、時折おちゃめな面もチラッと垣間見たりするんです。そんなミッキーさんのお話はこれからのグローバル社会で活躍したい人のチカラとなることでしょう。
日本と世界の架け橋 AT Globe 代表取締役社長
TOEIC700点越えした人材を、グローバル人材に育てるプロデューサー
20歳の時、成人式の晴れ着を作る代わりに、父親の単身赴任先だったドイツに行き海外デビューしました。50人のガーデンパーティー参加者の中で、唯一英語が話せず、自分が生きていた世界の狭さを認識しました。英語が話せたら沢山の人と 交流できて楽しいだろうと、帰国してから英語の猛勉強をスタートしました。
22歳で英検1級に受かり、大学卒業後、日本GEの人事部に入社。社員250人の うち50人が本社からの駐在員という環境で、英語で仕事が出来ていると錯覚してしまいました。
25歳の時、初めての海外出張でボストンに。博士号を持っている外部講師をファーストネームで呼び、“背が低いねぇ”とからかうオープンな場に5年ぶりのカルチャーショック。そして何と言っても、英語が聴き取れないことに愕然。日本にいる駐在員が次第にゆっくり話す習慣を身につけること、米国の中でも東海岸は早口で有名だと認識出来ていけませんでした。セミナーなのに会話が理解できず、当然、発言も全くできず、あまりに情けなくてホテルの部屋でボロボロ泣く羽目に。
1万人以上を面接する中で鋭い洞察力を身につけ、他者の自己認識、キャリアの棚卸しサポート、英文履歴書作成・英語面接の受け方に関するアドバイスが出来るようになりました。
平行して、全世界で行われていた即時解雇を止めるようアメリカ本社と1年半交渉し成功するなど、英語でコミュニケーションする時の加減・仕事をするためのスキルを試行錯誤で学びました。日本DHL人事本部長時代には、30万人企業のトップ12人の来日にあたり、3人のプレゼンテーターのうち唯一の日本人に選ばれ、CEOに褒められるまでに成長しました。
18ヶ月のオーストラリア滞在後、これだけ高学歴な日本人が英語を話せないこと、話せても英語で外国人とスムーズに仕事をするスキルを持たないことに危機感を抱きました。少子高齢化が加速しても、世界で活躍できるグローバル人財がいれば母国の将来は大丈夫との強い想いで、自立した個人をグローバル人材に育てる世人塾に情熱を注いでいます。